院長

友貞 宗人(ともさだ むねと)
歯科医師、日本顎咬合学会認定医
性格 | 「穏やか」だと言われます |
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出身地 | 東京都台東区 |
趣味・特技 | 今一番力を入れているのは、ジョギングです。 年末のフルマラソンに向けてトレーニング中です。 他には、音楽鑑賞(ジャズ・クラッシック・ワールド)/読書(ノンフィクション・サスペンス)テニス/スキー |
好きな食べ物 | 焼き鳥とラーメン |
心に残った映画 | ブレードランナー |
心に残った本 | 深夜特急(沢木耕太郎著) |
経歴-出身大学、勤務履歴、開業年など
1963年 | 東京生まれ |
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1982年 | 早稲田高等学校卒業 |
1989年 | 明海大学歯学部卒業 東京都内にて勤務 |
1992年 | 神奈川県川崎市川崎区に勤務医の後、当地にて開業 |
1997年 | 京町歯科医院(継承) 院長 |
所属学会・研修会の修了実績など
- 日本顎咬合学会会員(認定医)
- スタディグループ赤坂会会員
- 東京SJCD会員

ごあいさつ
京町歯科医院のホームページをご覧頂き、ありがとうございます。当院は患者さんとのコミュニケーションを大切にしており、高い技術を用いてただ治療するのではなく、それをより分かりやすく説明し、それによって患者さんに喜んで頂けるようにしています。多くの歯科医院の中から当院を選んでご来院頂いた方に、少しでもご満足頂ける医院であり続けたいと思っております。歯のことで何か少しでも気になることがある方は、当院までご相談ください。
心がけていること
私自身、幼少期からむし歯や歯並びを治すために、 よく通院しておりましたので、患者さんの気持ち(大変さ・辛さ)を 充分承知しているつもりです。
<患者さんの立場に立って>をいつも考えながら皆様に安心して治療を 受けていただき、さらに一生涯おいしく食事ができる健康な お口で過ごして頂けるように、専念しております。
一番うれしかったこと
はじめ、不安げに来院された患者さんが、頑張って治療に通い続け、
最後に明るい笑顔で
「長い間ありがとう。これからもよろしく」
と言って頂けたときは、本当に
この仕事をやっていて良かったと思いました。
休日の過ごし方
家族と公園に行って自転車に乗ったり、動物園や牧場に行って 自然に触れることが多いです。
また、子供の成長とともにテニスやスキーを楽しめるようになってきました。
院長の自己紹介
東京オリンピックを翌年に控え高度成長まっしぐらの昭和38年に、東京の下町、 御徒町(おかちまち)で誕生しました。
町は、まだまだのどかでゆったりとしていました。 昭和38年(1963年)はどんな年だったかというと、テレビでは、TVアニメ第1号「鉄腕アトム」や鉄人28号・エイトマンが放送開始されました。
大相撲では、大鵬が活躍していました。ヒット曲といえば、ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」、坂本九の「見上げてごらん夜の星を」などでした。
同い年の有名人は、バスケットのマイケルジョーダン、俳優のブラッドピット、元プロ野球選手の工藤公康、元大関の小錦などです。

幼いころ
小さい頃は、おとなしく人見知りを結構していたようです。 近所には、祖父母やいとこ達も住んでおり、お互い行き来しとても可愛がってもらい、にぎやかに過ごしておりました。

小学生のころ
学校が終わりランドセルを置きに家に帰ると、すぐに近くの公園に友達同士集合し、 野球やめんこ・ビー玉・べーごま・世界一周(植木の鉄柵の上を伝って歩くゲーム)をしたり、駄菓子屋さんに行ったりして暗くなるまで遊んでました。
家で遊ぶ時は、ミニカーを集めたり、またプラモデルを作りそれに色を塗ったりする 細かい作業が好きでした。
小学校低学年の頃から、あまり嫌がりもせず虫歯で歯医者さんに通っていました。 小学校高学年になると、出っ歯だったので矯正治療に通うようになりました。
この頃の治療経験が、後に歯科医になりたいと思うきっかけになったように思います。 小学校は、今思うと一番勉強をした時期だったように思います。
この時期が、一番 勉強することが楽しく、一番できた時期でした。また、活動では、学級委員をしたり、 運動会では指揮棒を振ったりと充実した日々を過ごしておりました。

中学・高校生のころ
中学受験をして、中高一貫校に入学しました。高校受験がない分 のびのび過ごすことができました。
中学1年生から 硬式テニス部に入り、めきめきと実力を付けてと言いたい所ですが、実際は、幽霊部員とまでは言いませんが、よく部活をサボって友達と繁華街で遊んでいました。
この時期の友人とは今でも一番仲良く交流しております。 高校3年生の受験コースは私立理科系を選択していたにも関わらず、担任の先生に進路相談で歯学部に行きたいと言ったところ、「歴史か?」と言われたことを今でも覚えております。
それでも、どうにかこうにか現役で歯科大学に入学することができました。

大学生のころ
大学時代の大半を、実家から学校までが遠いため、学校のそばの友人のアパートに1週間分の着替えを背負い居候していました。
居候先では毎晩のように酒盛りをし朝まで語り合って学校に遅刻することしばしばでした。
また代返も結構してもらってました。
大学も高学年になると、実習をしたり国家試験の勉強をしたりと歯科医になるための準備期間に入ります。卒業前には、国家試験を受ける資格を得るために<卒業試験>に合格しなければなりません。
ここで、ナント!!! 人生で初めての大きな挫折を味わうことになります。そうなんです、<卒業試験>をパスできなかったのです。 留年してしまったのです。(お父様、お母様ゴメンナサイ)
この時の試験の場面が、卒業何年か後まで夢に出てきて、"ハッ"として起きることが 暫くありました。留年はしましたが、その分友人の輪が広がりました。

勤務医のころ
卒業してからは、学生気分を一掃し仕事に打ち込みました。技術を磨くために自費治療中心の医院に3年間お世話になりました。
その後、現在の京町歯科医院に居抜きで買い取ることを前提に、勤務医として勤めることになりました。
勤務医の後、雇われ医院長となり、平成9年に居抜きで買い取り自分の医院となりました。
自分の医院となってからは、より技術を磨くべく、現在の師匠である赤坂で開業されております寺西邦彦先生のセミナー(診査・診断・歯科全般術式・総入れ歯・部分入れ歯インプラント)に何年も通い研鑽を積みました。
その結果、平成14年には所属するスタディーグループ<赤坂会>でMVP(Most Valuable Presentation)を授かる栄誉を受けました。
平成17年には、予防歯科の重鎮である山形県酒田市の熊谷崇先生のもとで、メインテナンスの重要性を学んで参りました。(オーラルフィジシャン)
<<通院するすべての患者さんが、一生涯健康なお口で過ごして頂くために全力を尽くします>>